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« 2014年度授業予定 (東北大学文学部;日本語教育学専修;田中重人) «  | |  » Network stop (2/6 morning) - Tohoku Univ. »

なぜ子ども手当を復活させるべきなのかについてのイデオロギー分析

このあいだの記事で書いたことについて解説(というか、こっちが本題)。

>>>>
子供2人に専従の養育係を1人つけて、他の収入源なしで標準的な生活をさせようと思ったら、子供ひとりあたり月20万円くらいの給付が必要。つまりこの意見から導出される具体的な政策は、子ども手当を復活させて金額を1桁あげろ、ということになる。
>>>> 「保守政権が導入すべき少子化対策」 (2014-02-01)

なぜこういう結論になるかというと、もともとの長谷川三千子さんの話 「年頭にあたり 「あたり前」を以て人口減を制す」 (2014-01-06 産経新聞) が、次の3点の特徴を持っているからである。

  1. 人口を維持したいのは「日本」を存続させるため。

    これは、個人の利害を実現することなど考えないという宣言である。現在の日本政府の政策では、いちおう、「人々は自分の子供を持ちたがっている」「しかし社会制度上いろいろと障害があるので、子供を持ちたいという希望を実現できていない」「障害を除くことは政府でやってあげてもいいけど、子供を育てる費用は自腹でね」「子供を持ちたい人が全員自分の子供を持ったとして、それでも出生力がじゅうぶん上がらなければ、それはそれで仕方ない」ということになっている。この点では谷川さんは反政府勢力なのであって、個々人にとってなんの利益にならないことであっても、人々を動員して子供を作らせたいのである。

  2. 動員をかける相手が、「若い男女の大多数」になっていて、人数が多い。

    少数の人々(たとえば保育士などの専門職)を次世代再生産のために訓練して効率よく使うという話ではないので、これら多数の再生産担当者についての費用が莫大なものになる。

  3. 女性を家庭外の仕事にかり出してはならないという。

    2--3人の子供に対して、収入源のない母親が専任でつくという贅沢な体制が想定されている。



イデオロギー論の枠組

以上のような内容の話からどのような政策が導き出せるか、というのは、イデオロギー論の守備範囲である。

(※ これ以降は、私が適当に考えた枠組であって、イデオロギーの研究で標準的に使われているようなものではないので、そこんとこよろしく。)


イデオロギーとは何か】

「イデオロギー」(ideology) とは「社会制度を正当化する信念の体系」である。

私たちは、自分の所属する社会におき(う)る現象について、「その現象はどういう性質のものか」「そのようなことがおきるのはいいことか悪いことか」「それに対して私たちはどのように行動すべきか」等々、さまざまな信念 (belief) をもっている。このような複数の信念が総合的に働いて、特定の社会制度が正当なものである(または不当なものである)ことを根拠づけるにいたったものが「イデオロギー」である。


信念の2つの次元】

イデオロギーを構成する信念のなかには、抽象的で漠然とした世界観のようなものから、特定の人物のとるべき行動を具体的に指し示すものまで、いろんな種類がある。これらの信念を、「操作性」「命令性」という2つの軸で分類しよう。

操作性 (operationality):
現実がその信念に適合しているかどうかを具体的に測定できるかどうか (測定できると操作性が高い)
命令性 (imperativeness):
特定の行為主体 (actor) を指定した内容になっているかどうか (主体が指定されていると命令性が高い)

信念は、これらの2つの軸によって、4象限に分類できることになる。

Philosophy:
内容が抽象的で、行為主体が特定されていないため、なにがどうなればいいか、だれが責任を負うか不明
Criterion:
内容が具体的なので、データに基づいて社会状態を評価する基準となる。一方で、誰が責任を負うかは不明なので、行為主体の行為を左右しない
Principle:
内容が抽象的なので、評価基準にはならない。一方で、行為主体は特定されているので、主体の行為を直接規定するルール=規範をうむ基盤となる
Rule:
特定の主体に対して特定のとるべき行為を指定する。現実に実効力のあるサンクションの仕組みが制度化されることで、強制力のある規範 (norm) となる。またそれ自体で評価基準となる

信念間の依存】

イデオロギーの構成要素である信念相互の間に依存関係を設定できる。信念Aが信念Bを正当化する根拠となっている場合、「AがBを正当化する」(A justifies B) という。


子ども手当復活のためのイデオロギー

以上のことを踏まえて、前の記事 「保守政権が導入すべき少子化対策」 (2014-02-01) で書いた「子ども手当を復活させて金額を1桁あげ」るという政策がどうして正当化されるのか、その背後にあるイデオロギーを可視化しよう。

まず、「子ども手当を復活させて金額を1桁あげろ」というのは、先の枠組みでいうと、Rule にあたる。特定の行為を特定の主体 (この場合政府) に対して要求するものだからだ。もちろん、どのような形で復活させるのか、金額はいくらか、どういう手段で給付するのか、とか考えていくと、まだまだ具体化しなければならないことは山ほどある。しかし、さしあたってこの程度の具体性があれば、この枠組みの中では、十分な操作性をそなえているものとしてよいことにしよう。

このような Rule がどのような信念から導きだされるかを図に表すと、このようになる。 (この図は 状態マシン図 を流用しているが、これは単に描きやすかったからそうしただけで、特に状態マシン図の規約にのっとって描いているわけではない。)

図:子ども手当復活のためのイデオロギー

縦横の破線で上下左右に区分してあって、縦方向が「操作性」の次元 (下のほうが操作性が高い)、横方向が「命令性」の次元 (右のほうが命令性が高い) である。ただし、それぞれの象限のなかでの位置には意味はない (描きやすいように配置しただけ)。

矢印は、信念間の依存を表す:正当化する根拠→正当化される信念

黒丸 ● は、根拠となる信念が2つ以上あわさってほかの信念を正当化している (根拠となる信念がひとつでも欠けると正当化できない) ことを表す。

出発点となるのは、左上に配置したふたつの Philosophy である。「日本社会を存続させるべき」というのは価値判断、「女性が働くと子供ができない」というのは事実認識の範疇にはいるが、どちらも、長谷川さんが件の記事で表明した信念であるといえる。

どのような条件が満たされれば「日本社会が存続」できるのかは、件の記事では具体的に明示されているわけではない。ここでは、人口学的によく使われる基準 (Criterion) として、合計出生率 {TFR} が 人口置換水準 (現在の日本ではだいたい2.07くらい) を上回っていることが必要条件になるだろうと考えた。 (そこはTFRじゃなくてコーホート完結出生力だろとか、1000年という長期の話なのに人口置換水準を固定していいのかとかいう文句は無視。)

そうすると、政府という具体的な行為者に対して、この Criterion を実現するために必要な政策をとること、という当然の原則 (Princile 1) を守ることが期待される。

一方で、女性に対しても、「育児に専念すべき」という原則 (Principle 2) が適用される。これはそのまま、女性が従うべき規範 (Rule 2) になる。

この Principle 2 は、政府の行動を具体的に決める場合に、制約として働く。ただでさえ育児にはお金がかかるのである。そしてそれ以前に、人間が社会の中で生きていくにもお金がかかる。普通の人 (=無産階級) は働く以外にはお金を稼ぐ方法がないのであるから、育児に専念する (=働かない) ことを強制するには、そのぶんのお金は誰かが払わなければない。そこを保障するのはやはり政府の役目であろう。このように考えてくれば、長谷川さんの信念体系は、女性が働かずに育児に専念することを強制するだけではない。政府に対しても、これに伴う費用を保障するよう強制するのである。


分析

この図の特徴は、矢印が基本的に左上→左下→右上→右下の流れになっていることだ。

Philosophy → Criterion → Principle → Rule

のような順序で信念が正当化されていく。

Criterion が Rule よりも上流にある、という点は非常に重要である。たとえば、Rule 1 をさらに具体化して、「0--19歳の子供ひとりにつき毎月20万円を支給する」という制度を作ったとして、それで本当に TFR が2.07以上の水準に上昇するのかは保証の限りではない。そこはやはり、実際に人口統計データを集めて実証的な研究をおこない、効果があるかないかを確かめなければならない。それで効果があることがわかったとしても、では月20万円という水準が適切かは別問題である (もし TFR=5 とかいうことになったらたちまち人口爆発であるから、額を下げるか何かしないと破滅するだろう)。実際には、政策科学者その他が予測を立て、結果を測定するためのデータを用意して評価し、それに基づいて制度を修正する、といった地道な作業を繰り返して、適切な解に近づけていくことになる。このような政策評価と試行のプロセスが適切におこなえるのは、具体的な規範 (Rule) が評価の基準 Criterion に従属するものであるとイデオロギーによって指定されているからである。

基準に基づいて規範 (法律など) の効果を評価するのは当たり前だと思ってる人が多いかもしれないのだが、実際には、世の中に存在するイデオロギーはそのようにきれいな構造をもったものだけではない――というような話は後日書くことにしたい(つづく)


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